「天駆せよ法勝寺」お試し版

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以下は、お試し版(第一章約5700字)です。同じ内容のPDF版(お勧め!)もあります。

本作品には佛理学(と仏教)用語が多数使用されています。用語集がありますのでご覧ください


天駆せよ法勝寺

 

佛に三種有り。

嘗て佛だったもの、

既に佛であるもの、

これから佛に成るものの何れかなり。

霊賢れいけん上人しょうにん言行録』より

1 法勝寺ほっしょうじ発進

ついに法勝寺が天駆てんくする。

その知らせを聞いた善男ぜんなん善女ぜんにょは、閻浮提えんぶだい――教化きょうけしえぬ衆生しゅじょうが呼ぶところの地球――の全土で歓喜の声を上げた。

奈良の北西に位置する京阪奈けいはんなは今や佛都ぶっととして名高い。その京阪奈からほど近い丘陵に囲まれた宇宙基地・応華山おうかさんは、世界人口の三割、三十億の佛徒ぶっとの注目を一身に集めていた。この地に建立こんりゅうされた法勝寺の祈念炉が、四百六十日の祈祷きとうの果てに臨界に達し、第一宇宙速度に必要な推力が得られたのである。

整地された平原にそびえ立つ巨大な九重塔きゅうじゅうのとうが、五月の強まりつつある陽光を浴びていた。

かつて、ある寺のことを「時間の海を渡ってきた美しい船」と表現した作家がいた。この壮麗な九重塔も、また眼をきつけて放さない。 だが、この法勝寺は比喩ではなく、まさしく時空を渡る巨大な船――星寺せいじである。

法勝寺は、六勝寺と呼ばれる六山の筆頭である。六勝寺のうち、延勝寺、円勝寺、成勝寺は、彼方の他星にすでに天駆し、法勝寺はそれに続く。

本来、五重塔や九重塔などの佛塔ぶっとうは、佛舎利――釈迦の遺骨を納め祀る一建造物である。

しかし、飛塔ひとうは、本尊のおわす金堂こんどうをはじめ、修行の場と居住空間を内包する伽藍、すなわち寺のほぼすべての建造物を塔内部に納める。

先端まで含めた飛塔の全高は、百十丈(三百三十メートル)にも及ぶ。

九つの各層の断面は八角形。層ごとに展開された黒い屋帆おくはんは、天へと上る巨大な階梯かいていとなり、白い壁と対照的である。地上から見上げると、力強い垂木や太い柱などの部材は朱に塗られ、全体では赤さが際立つ。建造に使用されているのは圧縮鍛造たんぞうされた強化木材・甲木こうぼくであり、その強度は鋼鉄を遙かにしのぐ。

飛塔の先頭にある装飾、相輪そうりんは全高の五分の一にも及ぶ。その造形は、古典的な空想科学物語の映像に登場する、を連ねたアンテナそのものである。

相輪の最先端には、佛舎利である佛牙ぶつげ――釈迦の歯を納めた球形容器の宝珠ほうじゅがある。この宝珠が中有ちゅううに「切れめ」を入れることにより、時空跳躍を可能にする。佛理学ぶつりがくによると、中有はくうでありながら実体を持つ特殊な時空間である。暗黒物質ダーク・マターとの関係を示唆する説もあるが定説ではない。宝珠の下に同じく球形の竜車、装飾の水煙が続き、その下に連なる九つの円環である宝輪ほうりんは、まばゆい金色こんじきに輝いている。

佛理学。それは、万物を構成する佛質ぶっしつ佛精エネルギーを相互転換する手法を研究する学術分野である。佛の教えの七割は佛理学として理論化され再構築された。涅槃経に一切衆生いっさいしゅじょう悉有しつう佛性ぶっしょうと説く。佛理学では、この概念を拡張し、衆生のみならずあらゆる佛質ぶっしつ佛性ぶっしょうがあり、佛精エネルギーと等価であることが宇宙の根本原理であるとする。

本来、蓄積に四万六千しまんろくせん日かかる祈念量は、佛理学の成果である交響摩尼車まにぐるま群の高速読経どきょうにより百分の一に圧縮された。この年月、三千大千世界の数百万の善男善女が、法勝寺を訪れて百十四言語での読経に参加し、祈念炉に祈りを捧げてきた。六勝寺のうち、閻浮提えんぶだいに残っている尊勝寺と最勝寺も遠隔感応かんのう合力ごうりき供養している。供養で捧げられた無数のこうはな燈明とうみょうは、衆生の祈りのあつさのあかしである。

発進供養は今や頂点に達していた。祈念炉は透明な強化セラミックで作られた巨大な球体で、法勝寺の底部にある。読経とそれに込められた祈念は、効率よく祈念炉に封じ込まれ、内部で反射と圧縮を繰り返す。それがまばゆい光と轟音ごうおんとなって外に溢れ、地面を揺るがしている。

飛塔は、その上部、第八層から地面にまで斜めに伸びた、八本の太い不空ふくう羂索けんさくで蓮の花をかたどった蓮台れんだい――発射台に固定されている。祈念炉に集約され増幅された力に拮抗できるのは、佛理的に不壊ふえくさりのみである。だが大地の割け目でさえつなぎ止められようという逞しい鉄鎖てっさでさえ、強大な推力に抗して張り詰め、今にも引きちぎられんばかりであった。

鎖を張り詰めたつる、大地を剛弓ごうきゅうとすれば、今まさに放たれんとする太い矢のようでもあった。ただしこの矢は引き絞った弦を越えて、弓とは反対側に飛ぼうとしている。

管制堂から少し離れた屋外集会場では、飛塔を背景に、出発前の記者会見が行われ、それに続いて管長である巌真がんしんが法話を始めようとしていた。 講堂では予定を大幅に超えた千五百人の客を収容できず、会場は屋外に変更された。中継映像を見ようとする人が、場外にも雲霞うんかのごとくつどっていた。

仮設の壇上には、宇宙僧の一同が起立して並んでいる。その一人、照海は三十五歳。新華厳宗を奉じながらも密教と顕教けんぎょうの双方を修めた秀才で、華厳けごん大学での応用佛理学の研究や指導を担う学僧である。今回の天駆では、航宙を担当する。

佛理学の奥義おうぎを極めたる者は、三種のわざを為す。すなわち操佛、装佛、創佛である。操佛は供養により諸佛の力を借り、装佛は佛をまとってその力を借りる。創佛は佛を勧請してその佛の力を借りる。照海はこれらの三種佛技ぶつぎすべてに通暁つうぎょうした稀有けうの学僧として名を轟かせていた。他の僧も、それぞれ専門分野を持ち、その分野では一流として知られた逸材が選抜されている。 供物くもつとして捧げられた香は、会見会場に立ちこめ、手で触れられそうなほどの息苦しい密度であった。照海らのまとう墨染すみぞめの法衣ほうえも、祈念が発する熱波にはためいているようであった。法衣は、動きやすいようにひもで肘や膝下を縛っている。

机の上にずらりと並ぶ話筒わづつを前に、巌真は、よく響く深い声で各国の記者たちに語りかけた。居並ぶ黒衣の中で唯一、紫の法衣をまとった五十代半ばの真言宗の僧の言葉には、並々ならぬ権威と自信がにじみ出ている。それは、医僧であることも関係しているだろう。 「我ら七名の宇宙僧が目指すのは、持双星じそうせい紫釈院ししゃくいんにおわす大佛だいぶつである。持双星に佛法ぶっぽうが伝わって千六百年。開帳されるのは百八十年ぶりとなる。佛記ぶっきは、その佛が一目ひとめ拝するだけで極楽浄土に至る無上の美しさであると伝えている。むろん、いま生ある者でその御姿おすがたを拝したことがある者はいない。開帳の期間が短かったことに加えて、写真はもちろん絵姿を残すことも一切禁じられていたので、どのような御姿であったかは想像するしかない。だが、我らはその貴重な開帳に立ち会う栄誉をいただいた」

巌真の声は、これから大事業を行う者の確信に満ちていた。一種のカリスマともいえる。 「かつては法隆寺や唐招提寺のように、寺こそが国際交流の場所であり、新しい技術を研究する時代の最先端であった。またかつては鑑真がんじん玄奘げんじょうのように、僧こそが荒ぶる海や果てしない砂漠を渡る冒険者であった。そのような時代ははるか過去のものか? 否。今や佛法の光は、星辰の彼方まで三千大千世界を隈なく照らしておる。本計画は多くの善男善女の支持と喜捨を受け、莫大な金額が投じられている。とはいえ、佛教界内外に本計画に異を唱える方々もいることは承知している。現にこの会見会場内にもおられよう」

巌真の眼光が鋭くなった。 「しかし、我らの参拝は、閻浮提と持双星の双方にとって重要な意味を持つ。そのために我らは長年の修行を重ねてきた。宇宙僧が肉体と精神を制御し、宇宙での過酷な活動にく耐えることは知っておられよう」

巌真の言葉は誇張ではないことを照海は身をもって知っていた。

僧としての修行とは別に、宇宙僧として四年続いた厳しい修行の日々が思い出される。

百七十種の供養で使う、五百種に及ぶ様々な宝具の取り扱いの修練。

一週間にわたる断食と不眠不休の座禅。

八時間連続の読経。

大峯おおみね千日回峰行かいほうぎょうには及ばぬとしても、百日に及ぶ深山しんざんでの生存を賭けたぎょう

このときはあまりのつらさに疲労困憊して、長年の夢を断念しかけた。

深い瞑想と呼吸法を鍛錬することにより、宇宙僧は、冷凍睡眠などに頼らずとも、深い禅定ぜんじょう三昧さんまいの境地に入れば新陳代謝を平均で二十八パーセントまで落とすことができる。大僧正ともなれば十六パーセント、新華厳宗の中興の祖である霊賢れいけん大僧正に至っては七パーセントを達成したという。

とはいえ、今回はその必要はない。最先端の佛理技術に基づく星寺の行程は、ここ閻浮提から三・六九e+一三由旬ゆじゅん(三十九光年)離れた持双星まで二か月かからない。中有を渡る天駆は、いかに遠距離であっても四十九日のうちに終わる。 「中有の天駆は、死出しでの旅であり再生の旅である。命がけの旅であってこそ、旅路の果てに佛にまみえることもできる。この天駆で、佛の智慧ちえと慈愛が三千大千世界に満ち満ちていることを、我らが再び示そう。未来は佛とともにあり。」 巌真の法話は、招待客のみならずその電視中継に見いる全世界の善男善女を魅了した。

七名の宇宙僧たちは、蓮台に向かって徒歩で移動した。合掌・読経しつつ歩みを進め、舷梯タラップを上り、飛塔初層にある観音開きの扉に一人ずつ入っていく。

しんがりの照海が、ひとり遅れて、飛塔を見上げ、今一度見惚れていると、 「照海どの。そろそろ方丈ほうじょうへお上りください」

しびれを切らした係僧に声を掛けられた。

飛塔の重力制御は、静止・天駆の状態にかかわらず常に重力ぶつによって行われ、天駆中も直立時と同じ方向に重力がかかる。飛塔中心にある心柱しんばしらの周囲は、各層を移動するための無重力回廊となっている。照海は、回廊を通り最上部に向かった。方丈の手前で巌真と鉢合わせした。 「照海、遅いぞ」巌真がじろりと睨んだ。

照海は赤面して詫びた。

巌真の後ろに隠れるように十三、四歳ほどの女の子がいた。 「その子は?」 一見、日本人と見えた。 「サルジェだ」 「ではその子が素佛そぶつの……」 「さよう。宗雲山そううんざんに上ってからゆっくり紹介する。今は発進準備を進めるぞ」

大佛参拝に加えて、法勝寺は今一つの使命を担っていた。転生佛てんせいぶつ候補、すなわち素佛であるサルジェを紫釈院に送り届けることである。ただ、このことは記者会見でもなぜか触れられていなかった。

いずれ分かることだろう。照海は、目の前の大任に意識を集中することにした。

飛塔最上部の第九層、すなわち先端部が、司令部ともいうべき方丈である。三人は薄暗い部屋に入った。控えめではあるが集中力を高める効果のある香がかれている。

電力供給を行うための駆動読経はすでに始まっている。

方丈は、一丈(三メートル)四方の部屋という名前の由来に反して球形である。球の直径は二丈で、球面内壁に沿って八方に一つずつ座面がある。飛塔全体を貫く心柱はこの球の中心も通っている。かすかに白く発光して、僧の緊張した面持ちを照らし出していた。

僧たちは、底面にある環状の操作卓を八方から囲むように蓮華座を組んで座っており、各種機器の最終確認を進めていた。

訓練で何度となく目にした光景だが、照海は常ならぬ高揚感を覚えた。

巌真は一段高い管長の座に着き、照海は自分の座面に着席した。サルジェもその隣に座った。

慧眼えがん、エマヌエルらと視線を交わす。彼らとは、宗派も国籍も違えども、半年の修行を共に経た、命を預け合う仲間だ。訓練を繰り返してきた発進手順は、阿吽の呼吸で進んでいく。

エマヌエルは、ベトナム出身の父とフランス出身の母を持ち、黒に近い栗色の髪を御河童おかっぱにしている。動禅どうぜん宗の尼僧にそうで、通信および探測系を担当する。緊張のためか、かすかに頬を上気させている。

慧眼はエマヌエルと同門の機械僧で、機関と各種装備の操作を担当する。中性的な印象を与える外見からは人間と区別が付かないが、整った顔がわずかに人工的なものを感じさせる。 「佛質転換率九十五パーセント。祈念炉出力九十七パーセント」慧眼が操作盤を見て報告する。 続いて、地上と交信していたエマヌエルが報告した。 「管制堂より報告。地上側も最終点検を完了とのことです」

巌真は頷き、告げた。 「全層の屋帆を縮退しゅくたい」 「全層の屋帆を縮退します」照海が復唱し、屋帆を操作する。最上部から傘をすぼめるように各層の屋帆が順次閉じてゆき、飛塔は細長い一個の円錐えんすいに近い形となった。 「耐重力姿勢に移行」 「耐重力姿勢に移行します」慧眼の言葉に応じて、八つの座面がスライドしつつ九十度回転した。全員が背を地面に向ける体勢になる。

心柱を中心に、宇宙僧の上体が菊の花のように広がった。全員、足は蓮華座を組んだままである。 「佛質転換率百二パーセント。祈念炉出力百五パーセント」慧眼が報告する。 「管長。発進準備完了です」航宙責任者たる照海が告げる。 「抜錨ばつびょうせよ」 「抜錨します」

巌真の命に照海は応えた。

飛塔を大地に固定していた八本の縛鎖ばくさの先端にあるいかりが、一斉に蓮台から排出され、飛塔上部に巻き取られ始めた。 続けて、巌真の声が一段と高く響く。 「法勝寺、発進。合掌!」 「!」

すべての僧が唱和し、合掌した。僧たちが合わせた手を包み込むように、半透明の宝珠が出現し、桃色の淡い佛光ぶっこうを放った。

この瞬間を、三千大千世界の善男善女もまた電視機を通じて見守り、合掌した。

飛塔は巨大な佛の手に引きずり上げられるように緩慢に蓮台から浮上した。

そして、バランスを保ったまま速やかに加速し、上昇していった。

地上からは、佛質から転換された純粋な佛精エネルギーが太陽のごときまばゆい光となって、飛塔の下部から吹き出しているのが見えたであろう。


お楽しみいただけましたでしょうか。お試し版はここまでです。本作は2018年6月に東京創元社から刊行された『プロジェクト:シャーロック (年刊日本SF傑作選)』(創元SF文庫)に収録されています(販売中)。

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