日本でSFは死んだのか

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「日本でSFは死んだ」――それはちょっと言いすぎでしょう。しかし、SFというジャンルにかつての勢いがないことは事実です。ただSFだけでなく、ネットでの娯楽とSNSに時間を取られて、本を読む人全体が減っています。小説よりも手軽で魅力的な媒体はいくらでもあります。私の目標は、マンガより面白い小説を書くことですが。

世界的に見ればSF映画の新作はいくつも作られていますし、中国SF『三体』も話題になりました。

ではなぜ日本でSFが死んだといわれることがあるのか。4つ理由を思いつきます。

第一に「センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)」を感じさせる作品が減ってきているのが一因かもしれません。簡単に言えば「そんなのあり!?」という衝撃です。

センス・オブ・ワンダーは、SFに限定される考え方ではなく、唯一の尺度でもありません。しかし、私はSFの醍醐味の一つと考えています。劉慈欣『三体』は、スケールの大きさと精緻な組み立てにセンス・オブ・ワンダーを感じさせる作品でした。

第二に、科学への信頼と、未来への希望が失われたため(日本に限ったことではありませんが)。ディストピアSFのほうが「明るい未来」よりリアルで書きやすいです。しかし、読者からすると、あまりにディストピアSFが多すぎてうんざりしているかもしれません。福島での原発事故と疑問の残る事後処理、温暖化など科学への信頼性を傷つける現実は、SFよりもインパクトがあります。なお、AIは、明るい未来と暗い未来の両方の可能性を持つ不確定要素といえるでしょう。

第三に、現実での問題が深刻すぎて、読者はより手軽な現実逃避を求めるからです。「ファンタジーは残っている」という意見もありますが、異世界もの、なろう小説、ラノベは、ファンタジーとは別のジャンルという見方もあります。異世界転生もののジャンルでは、独自性のある面白い作品もあるのですが、勇者など既知の「記号」を使った作品が量産されています。恵まれた環境での生活を夢想する作品と比較すると、読み始めたときから未知と取り組むことになるSFはハードルが高いと思われることもあります。

第四に、好奇心と柔軟な想像力を育てる教育が学校等で行われていないからです。SFは想像力の娯楽です。想像力を伸ばすには、対話や創作などさまざまな方法があります。SF作家の想像力が科学を刺激することは、中国、アメリカ、フランスなどでは認められています。

SFは娯楽か純文学か――SFの範囲が狭まりすぎるのも窮屈ですし、SFの範囲を超えていくことは重要なことです。ただ、相当数のSF読者は、シンプルにSFらしい作品を求めているのかもしれません。陳腐さを感じさせない作品を生むために努力している作家はいると思います。

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