佛パンク、仏教SFとは――「天駆せよ法勝寺」の背景・その1

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拙作「天駆せよ法勝寺」は、仏教SFです。おかげさまで電子書籍での有料ダウンロードは一万件を超えました。私はこの作品を、「佛パンク」であると位置づけています。二千五百年ほど前に始まった仏教と、「未来的」とされるSFにどんなつながりがあるのか。今回は、仏教SF、そして佛パンクとは何かについて書いてみます。

日本人は仏教にどんなイメージを抱いているのでしょうか。たとえば寺は日本人にとって身近な存在であり、一度くらいは訪れたことはあるでしょう。しかし、中で僧が普段どういう生活をしているのかというとよく分からない。寺は、葬式の時に行く場所というイメージかもしれません。お経も一度は聞いたことがあるでしょうが、耳で聴いたお経の意味を理解できる人はそう多くはいません。仏教は、身近なのにある意味、異質で遠い存在なのでしょう。

宗教はデリケートな話題ですが、信徒でなくても避けて通れない話題でもあります。たとえば日本語の語彙にも刹那、地獄・極楽、念力、往生など仏教用語は多くあり、お盆や生活習慣に仏教は浸透しています。仏教を含め宗教の基本知識を持つことは文化を理解することにつながります。

仏教SFとは、程度の差はあれ仏教の世界観を反映したSFと言えるでしょう。たとえば光瀬龍『百億の昼と千億の夜』では、キリストと共に、シッタータ(釈迦)、阿修羅が活躍します。小松左京の作品でも仏教的思想が反映されています。またマンガでは手塚治虫『火の鳥』の一部や、仏の姿をした月人が攻めてくる市川春子『宝石の国』が挙げられます(本作がSFであるかという点についてはまた議論があるかもしれませんが)。『GANTZ』でも仏像と戦うエピソードがあります。なぜか仏が得体の知れない敵というパターンがけっこう多いのは興味深いです。他に輪廻を扱う作品も多数あります(仏教以外にも輪廻の思想はありますが)。ただ、部分的に仏教的要素があるというだけでなく、主要な主人公の多くが僧侶という例はあまり多くはないようです。釈迦や空海の伝記的作品もありますが、SFとは違う。

いずれにしても、仏教SFは、仏教を広めることを目的とするSFではありません。架空の要素が入っており、正確な仏教の知識を学ぶためのものでもありません。しかし、仏教について興味を持つきっかけにはなるはずです。

私は仏教の専門家ではありません。仏教の様態は非常に多様かつ複雑で、たとえ専門家であっても仏教のすべてを知ることはなかなか難しいようです。国や宗派により見解や立場に大きな違いがあります。チベット仏教と浄土真宗では、共通する点もあると同時に、考え方も価値観も大きく違います。そして、チベット仏教でさえひとくくりにできないわけです。ただ、僧侶や仏教徒でないからこそ中立的な立場で書けることもあります。

それでは、なぜ私は仏教SFを書いたのか。

その2」に続きます(後日公開)

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