8/1。
今日は残りのパネル・ディスカッション2つに登壇しパーティーに参加した。4日目だが私にとってはほぼ最終日だ。
「トールキン以前と以後―エピック・ファンタジー」
- “Before and After Tolkien: Epic Fantasy”
「トールキン以前と以後―エピック・ファンタジー」
時差の確認を怠って午前6時開始のパネル・ディスカッション登壇を承諾してしまった。まあ関心のあるテーマだからよかったが。
どういうことを話したいかはあらかじめまとめておいた。トールキンの構築した世界は広く深いので、すべてアドリブというわけにはいかない。パネル・ディスカッションなので他のパネリストのやり取りも当然ある。進行に配慮しつつ言いたいことを適切なタイミングで話す。聴衆のチャットでの反応を見ていると、やはり英語圏読者はまだトールキン、あるいは「剣と魔法」的ファンタジーを求めているという印象もある。同時に、作家の立場からは、トールキンの偉大さを認識しつつもその限界を認識し、トールキン以後の方向性を模索したいという声も多い。日本の異世界転生系ライト・ノベルまたはなろう小説ではここら辺の問題意識はどうなっているのか。イスラーフィール『淡海乃海 水面が揺れるとき』では戦国時代に真っ向から取り組んでいるが。
だがアジアのように文化的基盤が異なるのでなければトールキンに似てしまう。ケン・リュウのシルクパンクがどれほど認知されているか聴衆に確認してみたかったところだ。
セッションでは、『指輪物語』などトールキン作品と仏教的概念との類似性について指摘した。エルフが不死に近い存在でありながら種族としては人間に取って代わられる無常、ヴァリノールと浄土、ラダガスト、鷲、エントらにみられる自然との親和性、そして指輪の破壊という欲望の超克。これらについては次回の文芸カフェ「仏教と今・仏教と未来」でも扱う。
比較的信者が多くアクティブな多神教といえばヒンドゥー教と神道だろう。キリスト教圏でのファンタジーが、むしろ非キリスト教的であるのは興味深い。ファンタジーは、非日常と周縁を扱うからだろうが。
「日本におけるSFと技術の交差」
- “Intersection of Science Fiction and Technology in Japan”
「日本におけるSFと技術の交差」
これは、YouTubeチャンネルSFS (Sugoi Fushigi Show)のメンバー、筑波大学の大澤博隆さん @hiroosa、同じく筑波大学の宮本道人さん @dohjinia、橋本輝幸さん @biotit、私によるパネル・ディスカッションである(実際には、異質な背景のパネリストで構成するパネル・ディスカッションとは少し違うが)。
アニメや漫画などは海外でも日本の作品が浸透しておりファンは多い。今回の参加者やプログラムからもそれを実感した(ちなみにカルロス・ベルムト監督『マジカル・ガール』では、病気の少女が魔法少女アニメにはまったことが事件のきっかけになる)。だが文学となるとやはりハードルが上がり、一部の著名作家しか知られていない。日本とその周辺のSF作家、作品を英語で紹介するのがSFSの目的である。
本セッションでは、日経「星新一賞」とSTEM教育とのつながりから始まって、大澤さんと宮本さんには、AIがどうSFと絡むかについても紹介していただいた。また作家にとって発表媒体が少ないことの問題、国外市場にどのように広めていこうとしているかについて触れた。このセッションは、SFSでも動画として公開する予定である。英語の日本語字幕は少し遅れるかもしれない。
ヒューゴー賞、引力賞、Japan Party
ヒューゴー賞の授賞式でジョージ・R・R・マーティンの映像を始めて見た。茶目っ気のあるじいさんだ。音声の乱れが頻発してファンキーな感じになっていた。
引力賞授賞式も視聴した。引力賞は中国でのヒューゴー賞となることを目指している。中国人参加者は英語がうまい人が多い。特に発音がいい。贈呈者に藤井太洋さんや欧米人を招くのはいいアイデアだ。外へ外へということを意識してこそ、成長できる。
Japan Partyは、日本関係者と日本人が主に来ていた。裏方ボランティアのみなさんの苦労話を伺った。巨大イカがいる3Dの仮想ホールは藤井太洋さんらの労作である。日本語で話せてほっとしている方々の空気を読まずに、トールキン以前・以後のパネルで一緒になったフィリピン人女性作家Vida Cruzに声をかけて呼んだ。妖怪、百物語、『新世界より』などについて話し、結果的にはほのぼのとした異文化交流ができたのではないだろうか。護符としてのアマビエが「キャラ」としても浸透する日本では、ファンタジーは日常に息づいている。
Japan Partyとは別に、日本語や中国語など英語以外の人のルーム(Discordでの「チャンネル」)を設けると、英語が苦手な方にとって情報交換しやすく、利便性がよくなると感じた。
まとめ
初めてのワールドコン参加ではいろいろと学ぶ点があった。関係者の皆さん、ありがとうございました、そしてお疲れさま。
WorldConでは、ヒューゴー賞の受賞者を見ても「英語圏の賞」という印象を改めて感じた。女性や非白人の受賞は今回もあった。だが、これまで(アーティストを除き)日本人作家が取り上げられにくかったのが言語・文化圏の違いであることを改めて実感した。4810名いた参加者の「出身国」は上位5位を英語圏国が占め、全体の9割。WorldConというよりはEngConだよなあ。ここら辺の事情に詳しい人はいそうだが。英語は有力な言語だし、英語圏作家がSFで中心なのは分かる。ヒューゴー賞に翻訳小説部門の新設が提案されたが実現しなかったそうな。
ちなみに日本からの参加は49名。また作家の力関係の差、特にプロとアマの差が、あるときは目につき、あるときはあいまいになるということも見た。
全体的に、あれ、なんか俺あまりしゃべってねーな。遠慮しちまったかな。話足りねえな!という感じはある。そういえばCoNZealandでは、講演という形式はほとんどなかったようだ。
いずれ機会があればまたもろもろのことについてじっくり語りたい。
ブログ記事の更新通知を希望する方はメルマガ購読をどうぞ!